こんな私が、世界を考える。

息子のアトピー性皮膚炎と食物アレルギーが発覚してからのここ1年の間、”食べ物の大切さ”、”食養生”について学んできた。

有機栽培の野菜や米といった食材を採り入れ、また小麦などを除去してもレパートリーが減らないようにと、それまで全く触れたことのなかった雑穀(もちきび、ひえ、あわ、キヌア、アマランサス・・・)の魅力を知り、またマクロビオティック、そこから派生した陰陽調和料理の料理法を採り入れたことで、身土不二、一物全体というような考えに触れ、その経験はもはや食べ物に関してだけでなく、生活上のあらゆる視点を変えることとなった。
息子の食べ物は100%手作り、調理に電子レンジを使ったことは一度もなく、一日も欠かさず土鍋で白米を炊く、テレビは一切観ない、スマホは使わない、そんなかつての私からは考えられないような生活をしている。

子育てをとおして、あらゆるモノ、出来事への考え方ががこういう方向へシフトすると、基本的には、”自然に沿って、昔ながらのやりかたで生きる”という形に傾倒しがちである。私のように極端な性格だと、ついつい”科学的なもの”すべてを批判対象にしてしまいがちである。
すぐ医者やクスリに頼って自然治癒力がないから、病気になる。だから自然療法に走る、といったようなものだ。
私はここ1年間、そのような考え方に支配されてきた。というのも、子育て、とくに息子のアトピーとアレルギーを通して学んだ考え方は、これまでのモノの見方を180度変える出来事であり、価値観も何もかもガラっと変わる。これまで無自覚に習慣化していたもの、頻繁に口にする食べもの、そういうものの多くも”イヤになってやめたこと”がたくさんある。そしてそれは、息子が私に教えてくれた最大の気付きと言ってよいし、本当に有り難いことだと思っている。

でも1年ほどそんなふうに徹底的に暮らしてみると、逆に、”科学の進歩”がもたらしたものの偉大さも気づかずにはいられない。利益、便利さを追求する世の中に無自覚で暮らしていた時よりも、そのなかで何に流されるべきではなくて、どんなものはうまくその恩恵にあずかるのが人生を豊かにするか、という知恵がついてきた、と言えばよいだろうか。

例えるなら、facebook。
私はあの世界に強い嫌悪感を覚えた時期があった。人付き合いがすべてfacebook、のようになってしまっている人をみると、本当にうんざりもした。だから、ほとんど開かない日々を送っていたら、それはそれで快適に暮らせるし、何より”邪魔されない”というのは、なんと効率がよいのだろう。パソコンあるいはスマホなどの端末を開けば、ほぼ自動的にfacebookの新着(や、それだけでなくLINEのメッセージ、email・・・など多数)にまず注意が向く。そうなると、本来パソコンを開く目的だった調べ物は置き去りにされ、友人とのコミュニケーションに気を取られ、平気で数時間も費やしかねない。そうなると、いかに”本当に大事なこと”を見落としかねないか、ということに気付かされる。その行動を何十年も繰り返したとすれば、その悪影響は計り知れない。

それでも。久しぶりにfacebookを開くと、タイムラインのなかでも”自分にとって有益な情報”だけを取捨選択して、選びとることができるようになる(たまに美味しそうな食べ物の写真などに気を取られることもあるが)。そのようにして再び使いはじめると、なんと素晴らしいツールなのだろう。
自分の知りたい情報、あるいは誰かが求めている情報を互いに交換できるというのは、なんと人生を豊かにする経験になるだろう。

facebookのみならずインターネット全般がそうだが、無自覚に使いさえしなければ、それはまるで魔法のようなツールだ。ただし、それは使う側の”なんのために使うのか”という強い目的意識があって初めて成立する。それが”さみしさを紛らわす”のが今のその人のニーズなら、もちろんそれはそれで構わない。
インターネットのおかげで、世界中でこんなふうに情報や知恵のやり取りができる世界では、”やろうと思って不可能なことはほとんどない”とまで言えるのではないだろうか。そうなるとキーになるのは、検索力だ。検索力さえ身につければ、この世の中に実現できないことはないようにすら思える。

その意味でやはり言語の影響はとてつもなく大きく、世界規模で考えれば、”ほとんどの人が日本語でしか検索しない日本人”は、世界中で知れ渡っているとてつもなく貴重な情報の多くを逃すということになる。
これは、私がオーストラリアで暮らしはじめ、料理のレシピを英語で検索するようになって痛感したことだ。レシピを英語で検索できると、夢のように可能性が広がる。オーストラリアだけでなく、世界中の人々の英知に触れることができる。これをするのとしないのとでは、雲泥の差だと感じる。それでも私が英語で検索する内容はまだ限られるし、込み入った内容を英語で検索する能力はない。それでも、料理に関してだけをとっても、英語で書かれている情報に触れられるかどうかは人生を大きく左右するといってもいい。だから今後は、”他国では常識でも、日本人は知らない事実”などはいくらでも出てくるに違いない。(そして、そのこと自体が日本人に知られることもない。)

話しを少し元に戻すと、利益を追求するだけの企業に取り込まれたり、便利さだけを追求する方針に盲目的に従うだけでなく、この世の中で自分たちで自分の身を守りながら生きていくには、科学の賜物を否定するのでなく、それをうまく利用する智慧を身につけることが最重要だと思う。

それができれば、その時抱えている問題の解決が、たとえそれがどんなに不可能に思えても、世界中の叡智を結集させて世界中の人が手を取り合って協力すれば、不可能なことはないように思う。
それは、この地球を守るということにおいて、もっとも力が発揮されるべきだろう。その意味で、もはや国単位でなにかに取り組んでも、それは非力かもしれない。こんな世界になっているからこそ、世界中で手を取り合わなくてはと、そんなことも、かつての私なら考えすらしなかったようなことだ。利益を追求する企業に勤め、便利さだけを良しとして生きていては、はっきりいって自分のことしか見えない。

子どもを産み育てるというのは、きっとこういう航海に出るようなことなんだろう。いろんな気づきや問題に直面し、自分がいかに生きていくかを探る旅。1歳半の息子がすでに私に教えてくれていることは計り知れないほど大きい。

 

2 Thoughts on “こんな私が、世界を考える。

  1. tomoko on 09/09/2014 at 11:44 AM said:

    はろー、さえちゃん!
    ご無沙汰してます^_^
    BayronでShaneの家に住んだともこです。

    いつも楽しみにBlog読んでます。
    さえちゃんの大変さや頑張りに感心しながら、
    私もやらねば…と刺激受けてる。
    何も変わってないけど(^^;;

    これからも、楽しみにBlog読ませてもらうね☻

    中山朋子

    • トモー!ありがと!!
      そんな改まって自己紹介してくれなくてもわかるわよ!(笑)
      どうしてるかなってよく思い出してるよ。

      たまにはゆっくり会って話したいね〜〜〜!

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