老子 – 息子からの教え 〜 Taoism

旅に出よう。 – go travelingでも少し触れましたが、最近めっきり『老子』の考え方にハマっています。
実のところ『老子』は伝説上の人物という説もあるそうですが、5000年ほど前の中国で生まれた思想で、その考え方は『道』(英語で言うと”Tao”)といい、老子は英語ではLao Tzuと表示されるそうです。

私が老子に初めて触れたのは、高校2年生くらいの時、予備校の長文英語読解のクラスでH先生が”The Tao of Pooh”(邦題:タオのプーさん)を教材にして、英語を学んだときです。(あの、ディズニーのプーさんです。)

老子の思想はとても捉えどころが難しく、”これこそが道(Tao)である”と言い表すのは、難しいようです。この”The Tao of Pooh”(邦題:タオのプーさん)では、ベンジャミン・ホフという著者が、”なんとなくタオってそういうこと”とプーさんを語ることによって表現を試みたという、実はとても画期的な本です。

私は高校生当時、”なんとなくわかるような、全くわからないようなだけど、なんかこの考え方は私にとってとても大切である気がする”と直感的に感じました。だから、”The Tao of Pooh”もいつか読み返そう、読み返そうと思いつつ、そのタイトルだけは忘れずに覚えていました。(そして、実際に日本語版の本を買ったりもしたのですが、何だかよくわからなくて途中で止まったままでした。)

さてオーストラリアでは、陰陽のマーク(Yin Yang) をやたらと見かけます。

漢方の店や、鍼の店、あるいはニューエイジショップなどでもやたらと見かけますし、あとは”ザ・ヒッピー”な人たちの腕にはそのタトゥーを見かけることもあれば、車にステッカーが貼ってあったりします。
この陰陽の考え方も、老子の思想に深く関わっています。

私はどういうわけか、この陰陽マークを見るとなんとなく落ち着かない感じがするというか、他人事とは思えない感じがするというとか、でも何故か同時に、”おどろおどろしさ”みたいなものを感じて、小学生の時にテレビで見かけた”キョンシー”(白い顔で、額に御札を貼り付けてある、ピョンピョン跳ねる少年です)が思い出され、なんとなく怖くなるという不思議な感覚があります。今考えてみると、ひょっとすると前世でなにか関わりがあったりするのかもしれません。

さて、老子の思想は、孔子による”儒教”に対抗するような思想であると言われます。
日本は儒教の教えが色濃く反映されている国だと言われますが、”父母を敬いなさい”とか、”人はこうあるべきだ”、”精進しなさい”という、かなり厳しい感じの教えです。
私の父は孔子のファンで、やたらとたくさんの本を持っています。そして幼いころの私に、父は私でも読めるような儒教の本を何冊か買い与えました。何度か読もうとするのですが、”なんで、人生そんなに苦労しなきゃいけないの?”、”なんかしんどい本だなぁ”、”堅苦しいなぁ”と感じ、正直まったく好きではありませんでした。それでも父は諦めずに、幾つかの本を私に送り、実を言うと私は、”本当は読書が大好きなのに、どこかで拒否して読まない”という変な癖ができてしまったようにも思います。

そういう日本の背景もあって、老子の思想は日本ではほとんどメジャーになることはなかったのかもしれません。
でも、”落ちこぼれのための思想”とか、”挫折した時に役立つ思想”などとも言われ、実は現代の日本人にとってとても大切な思想なのではないかと思っています。
現に私はここ数年間の苦しみの中、落ちに落ちまくったわけですが、そんな時だからこそ、老子の思想にやたらと親近感を覚えるのかもしれません。

私がここで老子の思想とは何かということをお伝えすることはとてもできるものではありませんが、もっとも有名な老子の言葉を挙げてみます。”無為自然” ーあるがままの姿が一番である。抵抗せずに流されなさい、赤ちゃんのようでありなさい、そういうようなことだと思います。

私たちはともすると、”あぁならなくてはいけない”、”自分にはこれが足りない”、”あれが手に入れば”というマインドに左右されますが、そうではなくて、そのままのあるがままの姿でよいのだという教えです。この男性的な競争社会においては、完全に異彩を放つ考え方です。そして、前回触れたfemininity and masculinity – 女性性と男性性についてにおいては、女性性そのものの思想なのではないかと思うのです。

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こんなふうに老子について、道について、陰陽について今日はあれこれ考えていたのですが、そんな時にふと、息子のReiが2歳3ヶ月の時にふと話してくれたことを思い出しました。

Reiがその時に話してくれたことは、2歳3ヶ月にしては(というか、年齢の問題でもないのですが)あまりに新鮮かつ、神秘的に思え、決して忘れることはありません。話してくれた日にちと、言葉の一つ一つをすべて日記に書き留めてあります。

2015年の5/27にReiが私に語ってくれたこと:

『ダダとマミーは、下の暗くて寒いところにいて、Reiちゃんは2つクルクルまわってる、速ーくクルクル回ってるほうに乗ってマミーのところにきたの。
ダダとマミーは、速ーく回るクルクルに乗ってたの。それで、ダダとマミーのところに行って、『やでしょ?』(と、はさんで言った)
だから、マミーはハッピーになるの。速ーく回ってるクルクルのほうに黒い穴があって、Reiちゃんはエンエンしちゃった(”泣いちゃった”の意)。それでReiちゃんは、ゆっくり回ってるほうに乗ったの。ばぁばと乗ったの』

と言いました。
”はやーくまわる”とか、”ふたーっつクルクルがあって”とか、指をクルクルさせながら、この世のものとは思えないような可愛らしい表現で私に話してくれた姿は、本当に一生忘れることはないでしょう。

2歳くらいの子供は、お母さんのお腹のなかにいた時のこととか、あるいは”雲の上からお母さんを見つけて、お腹に入ったんだよ”というような胎内記憶を語ってくれるといいます。(ちなみに、胎内記憶の第一人者・池川明先生の産婦人科は、私の通っていた小学校のすぐ目の前にあって、私は池川先生の大ファンです。Reiを産む時も、池川先生のクリニックで産むことも考えたのですが、妊娠5ヶ月くらいまではオーストラリアにいたので、妊娠初期から見ていないと途中からは受けられないということだったので断念しました。)

さて、Reiがこの時に語ってくれたとことは、今考えてみれば、魂の記憶ということに間違いないはずです。超スピリチュアルです。だって、上記のようなシチュエーションを実際に見たわけはありえないし、たしかにReiは1歳に満たない頃から、クルクル回るものが大好きでした。Reiは、時計が大好き、天井のファンも大好き、あとこれは、私の周囲では今でも語り草ですが、エアコンの室外機を”エアコンプー”と呼んで、なかのモーターがクルクル回るのを眺めるのが大好きで、いつも興奮して眺めていました。人のうちでも、ひたすら”エアコンプー”がクルクル回るのを眺めていました。しかもまぁ、あれが日立の”エアコンプー”だとか、三菱の”エアコンプー”だとか、いろいろ見分けていました。
だから、何かしら”クルクル回るもの”がReiにとって、なにか重要な意味を持っていたのだろうと思います。

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なぜか今までリンクしたことは無かったのですが、今日ふと、このReiが話してくれたクルクルまわるものは、万物のかたち”道 Dao”の陰陽のシンボルなのかもしれないと思いあたりました。

そして息子はひょっとすると、私にその教えを伝えに来てくれた魂なのかもしれません。
息子の親権を失うというこのプロセスも、ひょっとすると”道”についての学びの一つなのかもしれないと思うと、やけに納得がいくというか、これまでのあり方とは真逆の方向に引っ張られているというか、そんな気がしてなりません。
なぜかいま、そんなことを確信して、涙が溢れます。

(つづく)

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