映画『君の名は。』- the movie “Your Name.”

遅ればせながら本日、映画『君の名は。』を観ました。
普段、テレビも映画もアニメもほとんど観ない私なのですが、この映画はちらほら噂を聞いて、ずっと気になっていました。

観ていて、気絶寸前でした。
私がここ2年半の間に体験していることと、この映画の内容が酷似している!のです。

これは一体どういうことでしょうか。

まず第一に、『やっぱり私は絶対に頭がおかしくなったんじゃない!!!』ということを確信しました。実は、このブログではその件についてあまり触れずにきたのですが、私はオーストラリアに戻ってからここ2年半の間、”精神的に問題がある”と診断されたことがあり、病名を付けられたりもしました。元夫とのショッキングな出来事と、それに続く裁判のストレスが原因であると言われています。
そのことが、親権を失うに至った最大の原因であることは疑いの余地がありません。

でも私はずっと、”これは疾患ではない”という想いが強くありました。じゃあなんなのか医者が納得するように説明せよと言われると非常に困るのですが、ある種の目覚め体験に伴う変調とでもいうのがもっとも無難な説明かもしれません。そしてそれが、医学的に認められないこともわかっています。

”世界がひっくり返ったような体験をした”とか、”こっち側から反対側のほうにひっくり返った”とか、”折り返し地点だった”とか、”まるで吹き荒れる嵐、台風の目のなかにいるようだった”とか、そのような表現でしか言い表せないような不思議な体験を3回もして、その時に私のなかで起きていたことは、映画のなかで主人公達が”ねぇ、あんた昨日すごい変だったよ”と友達から言われている時の出来事とまるでほとんど同じなのです。

といって、私の場合は、誰かと性別が入れ替わるとか、あるいは同じ国内の同時代的な人と存在が入れ替わるという、映画のなかの話とは異なります。
私が体験した(している)のは、あたかも、アンダーワールドと、天界?がひっくり返るような感覚です。それが、ギリギリの表現だし、その体験について、ここにこうして書けるようになっただけでも、私としては大変な進歩です。

映画の中での細部が、酷似していることにも驚きました。”糸”は私にとってもなにか大きな意味がある気がしていたし、しかも、あのスマホの過去のメッセージが消える場面。私はそこに痛烈な既視感をおぼえました。私もその狭間にいる時は、メッセージがめちゃくちゃになった挙句、毎回スマホが姿を消しました。

その時々の症状や、私のなかで一体何が起きていたのかということを書くことは、いまだに躊躇します。なぜなら私は、自分自身でも”私はおかしかったのかもしれない”という自己疑念、罪悪感、自己不信がそこに残っているからです。だから、そのことをほとんど誰にも言わずにいました。

その自己不信、疑念を捨てなくてはならないと思い立って、実は急遽、昨晩から一人旅に出ました。その道中でたまたまこの映画を見る僥倖にあずかったのは、偶然であるわけがありません。もう、私に起こる出来事を”偶然”と片付けることなどもはやできません。

私がこの自己不信、疑念、罪悪感、自己嫌悪といったものを手放さなくては、私たちが人生の目的を遂行するステージには辿り着けないということを直感的にわかっています。マインドのなかで、ああでもないこうでもないと考えを巡らせることからも抜け出さなくてはなりません。

古代エジプトやギリシャ神話、そして日本の古い言い伝えのほうが、現実よりずっとリアルに感じられることがあると感じたのも、いまとなっては確信に変わります。

天と地の融合、集合的な男性性と女性性の融合、そのようなことがメインテーマであることは間違いがありません。
そして私の人生の目的は、息子が身をもって教えてくれていることとも深く関わっていることも知っています。表面的には親権を失うという形で引き離されているけれど、そんな次元の話ではなく、もともと私と息子は一体であったという絶対に揺るがない事実もそこにはあります。

そして現実的な意味において、オーストラリアで展開している親権をめぐる裁判沙汰で、私が失うものはもうこれ以上何もありません。だからこそ、やっとこの地点に来たのだと思います。

あるいはこんなことをここに突然書いて、私の友人たちは私を不審がって離れていくかもしれないなどと頭をよぎるけれど、もしそういうことがあるならば、それは仕方のないことだし、そもそも私の中のそういう恐れを手放すことがまず第一の課題であります。

とても抽象的な書き方しかできていませんが、私はこの映画に後押しされて、やっとこの想いまで辿り着けました。
そして私は、日本でスピリチュアリティがあまり受け入れられていないと散々言ってきましたが、この映画、魂の物語が国内で大きな人気を得たという事実をとても喜ばしく思います。この物語が広く受け入れられるということはとても意義があることだと思います。私の経験について深い洞察を与えてくれたこの映画と出会った今日は、とても喜ばしい日です。

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