人との繋がり - we should be aware that we could be very lazy sometimes.

原点回帰というべきか、昔ながらのシンプルな生活様式に惹かれるようになったのは、息子のReiが生まれてからです。
facebookから距離をおいてみたり、iphoneをわざと使うのをやめてみたりと、私なりの原点回帰を試みてきたのですが、なかなか時代に逆らえないというのが実情です。

それでもやっぱり、常に”オンラインであること”に感じる違和感は、拭い去ることができません。”オンラインであること”や、常にスマホと共に生活をすることは、やはり、自分の本質からどんどんと遠ざかっていくような感覚があります。

そんなこともあって、少し前にアドレスブックを購入しました。

かつて、私が高校生くらいの頃、つまり20年ほど前までは、私たちは一年の予定を書き込む手帳とともに、こういういわゆる電話帳で、友達や親戚の連絡先を管理していませんでしたか?
その頃の電話帳にはまだ、mobile phoneの項目も、email addressの項目も存在せず、シンプルに住まいの住所と、20年前だとケータイは普及し始めていたかもしれませんが、家の固定電話が基本だったと思います。場合によっては、そこにPHSかポケベルの番号が書かれていたりしたかもしれません。

ところが今となっては、SNSやらLINEやらで簡単に繋がることができるので、連絡を取る時は、自宅の住所や固定電話はおろか、個人のケータイ番号やメールアドレスですらもだんだん不要になってきました。eメール自体でのメッセージのやり取りよりも、facebookのメッセンジャーなどを利用して連絡を取ることのほうが主流になっているように感じます。

私のように日本を離れ、こうしてオーストラリアで生活していると、日本にいる友だちたちと繋がるにはSNSもLINEも便利なツールだと言わざるを得ません。まして、グループ間で会話できるというのも、さながらそこで同窓会のような会話が繰り広げられることもしばしばです。
それは日本にいても同じことだと思いますが、私が現在の状況で大きく異っているのは、”実際に会うことがなかなかできない”という点です。

LINEやfacebookでなんとなくの近況を知っている上で、半年に一度でも実際にキャッチアップしていれば、その人との距離感は昔のまま、自然なままでいられるに違いありません。ところが、”実際に会う”というもっとも重要な機会をなかなか得られない私にとっては、”いちばん大事なところ”だけが削ぎ落とされたまま、うわべだけはみっちり繋がっているというような、なんだか、こそばゆいような違和感のある繋がりになっているような気がしてなりません。

やはり親友とは、実際に会い、お互いの顔を突き合わせて、一緒に笑って、アホな話しをして笑い転げて、共に泣き、ある時はケンカして、というリアルな付き合いが基本だと思うのです。
でも、中途半端に表面だけはみっちり繋がっていると、”彼氏と別れたらしい”とか、”ふたり目が生まれた”とか、”仕事ですごくストレスを抱えている”とか、そういう事情は分かり合えているようでも、それについての”コミュニケーション”と”共感”というもっとも肝心な部分が抜け落ちていて、でも、それでも相手のことをわかっているような気でいるという以前とは異なる不思議な関係性がそこに存在するのを感じます。

ことに私は、ここ2年半の間に起きた出来事について、親友とみっちり話をするという重要な機会を逃したまま、でも”だいたいお互いに何が起きたのか”ということだけは共有されているという状態のままになっています。

そんなバーチャルの交わりみたいなことをするくらいなら、いっそのこと積もる話しを溜めて溜めて、一切なにも共有しないまま、ついに出会えた時にすべてを分かち合ったほうが良いんじゃないか、、と思うようになりました。
だって、結局なにがあったかというオチだけは知った上で一から話しをするなんて、あらすじと結末だけは事前にわかっている映画を観るようなもので、私は、結末もあらすじも知らない映画を愉しんでいたい。

やっぱり、ここがオンラインの落とし穴だと思わざるを得ません。
人間は、簡単になんでも手に入る状況に弱い、きわめて怠惰な動物なのです。
便利さが追求される文化は素晴らしいようですが、私たちは基本的に怠惰な動物であるということを忘れてはいけないような気がします。
そこで怠惰になってしまうと、本来の人間としての大事なことを見落とし、人間として大切な機能が歪められる、あるいは不能になるという気がしてなりません。

友人の名前や親類の住所を手書きで書き留める、という作業も乙なものです。普段、いかに自分が手書きでモノを書くという行為をしていないかも痛感します。手を使って文字を書くという行為も、私は忘れ去りたくありません。
広く浅く繋がることはエンターテイメントであることを心得た上で、私は、本当に繋がりたい相手と、リアルに繋がっていたい。そう願ってやみません。

2 Thoughts on “人との繋がり - we should be aware that we could be very lazy sometimes.

  1. いえなが on 06/09/2017 at 6:57 AM said:

    同感!

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