日本人としての誇り - I am proud of being a Japanese part 1

メルボルンの街を歩いていると、このポスターをよく見かけます。

 

 


 

 

”本物のオーストラリア人は、移民と難民をウェルカムするぜ!”ということです。
人種のるつぼであるメルボルン。街を歩けば、本当にありとあらゆる人種の人々が暮らしています。頭と顔にターバンを巻いていて目しか見せていないイスラム系の女性、頭に小さい黒い皿みたいな帽子を乗せているユダヤ系の男性、ビンディーをつけてサリーを着ているインド人女性・・・そういう方たちが至る所にいて、アジア人もアフリカ人も白人とともにごちゃまぜに暮らしている街、それがメルボルンです。

オーストラリアの難民受け入れに対する姿勢については、正直なところ私はよくわかりませんが、それでもイギリスから受け継がれている超の付くほど権威主義であるオーストラリアの裁判所というところでさんざん虐げられてきた身として声高に主張したいのは、オーストラリアの白人の人々は未だにめちゃくちゃ”人種差別”をする!ということです。このポスターを見かける度に、私は拡声器を持ってこのことを訴えたくなる衝動に駆られます。

アジア人に対する人種差別は、生活をしていて肌で感じます。キャッスルメインというメルボルンの田舎町に暮らしていた時、公園で息子と日本語で話をしていた私に向かって、通りがかりのヤンキー風の少年が”てめぇ、オーストラリアに住んでるんだから英語話せよ!”とかなり乱暴な言い方で言い放ったことは、かなり印象的でした。

先日メルボルンに暮らす日本人のMちゃんと話をしていた時、彼女はとても重要な指摘をしていました。”オーストラリア人って、自分たちの人種・民族に根付いていないからこそ、他の民族を人種差別するんだよね”、と。私もまったくそのとおりだと思います。ヨーロッパから植民地時代にオーストラリアへやってきた白人たち、そこからほんの2、3世代先に生きる世代は、自分の”ルーツ”というものにあまり確固たる長い歴史を持ちません。”祖父がイタリア系の移民で、祖母はアイルランド系である”とか、意外とそのくらいの認識しかない場合もあります。そしてそのほんの数世代の間に、オーストラリアの地で移民同士が混ざりあっていることがほとんどです。

権威主義、排他主義なオーストラリアの裁判所で、さんざんアジア人として屈辱を受けたからこそ、敢えてこんな物言いをしますが、
”あのー、私日本人で、そのことを実はめちゃめちゃ誇りに思っているんですけど、なにか?”という感覚があります。
”私たちは人種差別をしない”と声高に主張することはむしろ、”実は根底にはその思いが非常に強いけれど、それを隠しています”というメッセージと実は同義語です。本当に真の意味で差別がなければ、”差別をしない”などとわざわざ主張する必要は全くありません。

ここのところ、メルボルンのシティに行く度ごとに”あー、日本ってすごいな〜、オーストラリアの人みーんな日本のこと大注目しちゃって、日本のこと大好きだよね〜、私、日本人ですけど、なにか?♥”という気分になります。
オーストラリアの道路をどれだけの日本車が占めているか、ということは言うまでもありませんが、実はオーストラリアには日本のモノが溢れかえっています。
この間は”Emojiなんとか”というオーストラリアの映画のポスターを見かけましたが、ショーウィンドウやら至る所に日本の”絵文字”だらけ!その他、ポケモン、マリオ、ハローキティー、トトロ・・・日本のキャラクターが溢れています。そもそも”Emoji”が日本語だって知ってます?、オージーよ。
オートバイはヤマハ、ホンダ、スズキ、カワサキ。タイヤはヨコハマ、ブリヂストン。エアコンは三菱、富士通、パナソニック、日立。ゲームは任天堂、ソニー。カメラはオリンパス、ニコン、パナソニック。洋服はユニクロ、無印(あえて”ブランド”に括ります、なぜならここでは、ブランドだから。)。オフィス用品店にはカシオの電卓、コクヨのノートや糊、パイロットのペン。オージーには欠かせないDIYツールもRyobi、Makita。ダイソーが現在オーストラリアに29店舗。
メルボルンの街にはラーメン屋が乱立し、寿司にかぶりつき、オージーの女は着物スリーブのパジャマを着て、キリンやサッポロのビールを飲んで・・・、ついでに美術館では(あまりにお粗末でショボくてビックリしましたが)葛飾北斎展。もう、日本だらけです。
ふー、日本を自慢するのにこれだけの紙幅が割かれてしまった。

この後もまだすごく長くなりそうな予感がするので、ここらでpart 1を締めてみます。

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