ここが変だよ日本人 – “That’s just weird.”

今回の旅で感じたこと、それは、日本人とオーストラリア人の国民性って、本当にまるで真逆のよう!ということ、どちらにも良いところと機能不全があって、その狭間で戸惑う場面が多々ありました。

日本へ帰省して間もなく、自動車教習所へ免許の更新に行ったときのこと。
朝8時台の通勤ラッシュの電車に乗り込んだのは、およそ7年ぶりでした。私の実家がある駅から電車に乗り込むと、周囲の人たちと完全に身体が密着し合うほどの超満員。辛うじて手すりに捕まったものの、進行速度がやたらと早い車内では、カーブごとの大きな揺れとともに押しに押されて、上半身だけ背後から押されたまま、足が吊りそうになるほどでした。”これじゃあ、痴漢も冤罪もありゃしないわ”などと思いながら、ほんの数駅乗っただけで、完全に気分が悪くなりました。
中学生の頃からその電車で通学し、社会人になってからはヒールを履いて通勤していたことを思ったら、自分で自分を褒め称えたくなりました。”過密”の域を越えたその車内では、インフルエンザの流行が騒がれていたこともあって、7割くらいの人がマスク着用。

あのね、オーストラリアではマスク着用している人って、ほとんどいないんです。病院でだって、あまり見かけない。だから、日本の街中で、皆こぞって使い捨てマスクを着用しているあの風景、ハッキリ言ってちょっと異常です。そしてかくいう私もその雰囲気に”汚染”されて、うっかりマスクを着用してしまいたくなるのです。確かに鼻と口を塞ぐと、どういうわけかちょっとした安心感を得られるのですが、実際に私たちがそもそも汚染されてるのって、インフルエンザなり空気中の細菌というよりも、”外は汚い”、”公共の場は不潔”、そういう感覚なんじゃないでしょうか?
そして、除菌・抗菌グッズで身を固めて”クリーンな気分”になってばかりいるからこそ、本来身体のもつ免疫力が低下して、インフルエンザやら大腸菌に多数の人が冒されるんじゃないの?と、私は思うのです。今回私が日本にいた2週間の間に日々騒がれていたインフルエンザの大流行も、清潔、清潔をモットーに本当は殺菌なんてしなくて良い常在菌まで殺しちゃったからこそ、異常なまでに蔓延しているんじゃないか、と思うのですが、たしかに我が子が通う小学校や幼稚園でインフルエンザが流行していると聞けば、背に腹は代えられない・・・。発酵食品にハマった一個人の私が、ここでどんなに声高にそんなことを主張したところで無力感を感じるだけなので、マスク着用の話しはここらでストップしたほうが良さそうです。

さて、そんな満員電車から降りて、別の路線の下り方面の電車に乗り換えて着席したときのこと。
私の右隣に座っていた50歳そこそこに見えるオジサンが、プシュっと缶のプルタブを抜いたのでおもむろに視線をやりました。オジサンが開けた缶はコンビニの袋に包まれていたのですが、そこには紛れもなく、”氷結果汁 ストロング”の文字がありました。
朝の8時台の電車のなかでスーツをきたオジサンが、フーっとため息を漏らしながら缶チューハイを飲んでいる!!しかも、おもむろにコンビニの袋でパッケージを隠している感じがまた、”やっちゃいけないことをやっている”感ががありありと伝わってきました。

私はとても切ない気持ちになりました。
アル中にはぜんぜん見えない、スーツを着てちゃんとした身なりをしているオジサンなのですが、隠れアル中なのかもしれません。私は、
”オジサン・・・あのさ、きっと、家族の手前、朝いつもどおりに家を出なきゃいけなかったんだよね、でも本当は会社になんて全然行きたくなくて、でも行かないわけにいかないと思って家を出たものの、いつの頃からか缶チューハイに手を出し始めたら、うっかりやめられなくなって朝にも飲みたくなっちゃったんだね、もう何年も何年もストレスを溜めて頑張って社会人をやってきたんだね、”
などと、勝手に想像をめぐらし、そのオジサンの方をポンポンと叩きながら、”今日、会社行かないでいいよ”、”私で良かったら、ちょっと話でも聞きましょうか”とでも言ってあげたい気分にもなったのですが、そこは、日本。オーストラリアのように、バスやトラムで乗り合わせた人と気軽に会話が始まることなんて、都心ではあり得ないこと。そしてオジサンのほうでも、”誰にも見られたくない”と思ってらっしゃることでしょうから、私は気づかぬふりをしながら、ただ、日本の社会が抱えるストレスと、もう精神状態が限界スレスレなのに、何年も何年も同じ日常を繰り返して疲れ切っている働く人たちのことを想って、いたたまれない気持ちになるだけで、為す術がありませんでした。

日本人て、どんだけ真面目なんだー!!!!!
真面目という気質は、時にとてつもない威力を発揮します。だからこそ、これだけ”便利な”日本という国ができあがった。でも、その真面目さから派生した、重圧と責任感の重さは計り知れません。そしてまた、その重圧が心と体にもたらすストレスを思ったら、私はまた、自分の無力さに泣きたくなりました。
体面を保つこと、自分の立場や居場所を社会あるいは家庭の中に確保すること・・・日本にいると、”ちゃんとしていなきゃいけない感”に毒されてしまうこと・・・日本の社会でそれに毒されずに生きることの難しさを知っているからこそ、その闇を垣間見てしまっても、私は再び立ち尽くすしかありませんでした。

それからもうひとつ。オーストラリアから日本へ帰省すると、どういうわけか洋服や雑貨、化粧品などの物を買いたくてたまらない衝動に駆られる現象のことを、私はこれまで、”日本の物欲マジック”と呼んでいました。これは無駄に流行を追いかけたくなる私だけに限ったことではなく、オーストラリアに暮らす日本人の何人かと意見が一致しているので、実際に発生する現象だと思います。
日本で売られている商品は、まず第一に品質が良い、そして、”こんな便利な(/素敵な)グッズがあるなんて!”これを買ったら、なんか新しい私になれそう!”と、どうも買わずにはいられないオーラを発している物が世の中に溢れかえっているのです。別に広告を見たわけでも、店員から勧められたわけでもないのに、あたかもモノそのものが訴えかけてくるように感じるあの感覚は、何なのでしょうか。

オーストラリアに移住してからというもの、そのマジックに魅せられて買ったものの大半が、重い思いをしてオーストラリアへ持ち帰ってみるとまったく不要なものばかり、という経験をもう何度もしているので、さすがの私も今回はかなり警戒したほうです。もう今回私は、それを”マジック”ではなく、”呪い”とでも名付けたい気分になりました。
物には霊(魂)が宿るといいます。職人によって丁寧に作られた製品は、たしかに作り手の思いやぬくもりがこもっているように感じられます。そして、それこそが日本のものづくりの根幹をなす素晴らしい精神であり、日本が世界に誇るものの一つです。
ファストファッションや大量生産品に、同じように魂が宿るかと言えば、おそらくそれは否。でも現代の日本で売られている大半のものは、ともすると、職人技でつくられた製品と、大量生産品との中間、みたいなものなのかもしれません。
それぞれのメーカーや会社は、売るために差異をつけたり、一工夫することに、異常なほどに長けています。だから、”他のものとはなんか違う!”、”丁寧に作られてる感が滲み出ている!”モノが、そこらじゅうにあふれかえり、それなりに安価に上質なものが手に入る、それが日本の実情なのかもしれません。
だから私は今回、本当は不要なはずのに、”なんか良さそうで欲しい気持ちにさせる”モノたちのことが、なんだかオバケのように見えてしまいました。

そして気を抜いてうっかり、”呪い”にかかり、洋服を1着買ってしまった時のこと。
もう昔から見慣れた光景とはいえ、まずは薄い不織布で真綿のように商品を包み、さらにお洒落なショッピングバッグに入れてくれ、なんなら”他のお荷物とおまとめしましょうか?”と巨大な紙袋に入れてくれる、とても親切で丁寧で、控えめで、気の利く日本人の可愛い店員さんたち。そして相変わらず、”お店の出口までお持ちします”と、ただこちらをこそばゆい気持ちにさせるだけの、過剰に丁寧な接客。
日本人は、どんだけ丁寧なんだー!!!

真面目で、丁寧という日本人のクオリティー。
少し日本の外に出てみると、それがちょっと過剰すぎやしないか?と私は首を傾げたくなるのです。

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