ハグについて – Being hugged

オーストラリアでは、男女問わず家族や友人と再会した時あるいは別れ際にハグをする、つまり挨拶のように抱擁する、ということはごく当たり前のことです。

私たち日本人にとって、恋愛関係でない人間どうしがハグをするという行為はなかなか馴染みがありません。オーストラリアに移住して7年が経ちますが、私は未だにハグをするという行為に、どこかぎこちなさを拭えないでいる自分を発見することがあります。
それは、”この人とは、ハグをする間柄なのだろうか?”とか、”ハグと同時に頬にキスをされた時、どう対応したらよいのか”とか、”身体を離すタイミングはいつなのだろうか”・・・などと、どちらかというと身体より思考が先行してしまうことがあって、そのスキに”ハグをされて、いつの間にか終了している”という完全に受け身にしかなれない自分に気がつく時、文化の違いだから仕方がない、、と戸惑う自分を慰めたくなります。
どちらからということもなく、100%自然に、完璧なタイミングでハグをし合うオージーを見ると、私は心底羨ましくなります。

ハグとは、まさにノンバーバル・コミュニケーション。
力の込め具合や長さによって、意味合いや伝わるメッセージが変わる、とてもパワフルな行為。最近では少しずつ”ハグを受け取る”ことに慣れてくると、私はその行為がもたらす癒しの力に涙を流すことがあります。その相手が、名前も知らない、その日に出会った誰かであったとしても。時として、名前もバックグラウンドも知らない誰かからとても深いハグを受け取る時、それは絶大な効果を発揮するような気がします。

私にとってはとりわけ、歳上の女性からの包み込むような温かい長いハグ、そして男性から一切セクシャルではない長いハグを受け取る時、身体の奥底に温かいものが流れ込むような癒やしとともに、とてつもない安心感が与えられ、ハートが満たされることがあります。
それはとりもなおさず、子供の頃、父と母、あるいは祖父母から”抱っこされている”ときの感覚を呼び覚ますからにほかなりません。ただ相手に身体を委ね、あずけるという行為は、大人になるとなかなか恋愛関係以外では難しくなるものですが、私は、恋愛関係以外の場面でそれを体験できるハグという行為は、素晴らしく意義深いものだと思うのです。ノンバーバルだからこそ、文化も言葉も年齢も性別も越えた、その時その瞬間にしか感じ得ない感覚を伝え合う、私はそこに生きている証のようなものを感じます。
私は昨日、自分でも聞いたことのないような喉の奥底から嗚咽が出てくるようなハグを体験しました。そして、その出来事によってもたらされている安心感によって今日の私が強く生かされているような気がします。

私は我が子を抱くように、誰に対しても人を温め癒やすハグができる人間になりたいと願い、そしてまた、日本人同士でもただハグをし合うということがもっと身近になれば、心の隙間を埋めるコミュニケーションになるのになぁと思うのです。馴れ合った家族や友人であればあるほど、照れくささや恥じらいが生まれるかもしれませんが、それは実は赤の他人であっても良いのだと思います。時にそれは、長いEメールの一つより、あるいは100人からの”いいね!”より、絶大な効果を発揮するのではないか、一つのハグが一つの命を救うこともあるに違いない、そんな気がしてなりません。

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