ConFest – 自然に還った5日間

昨日までイースターホリデーの5日間、ConFestというイベントに参加しました。
ConFestとは、毎年オーストラリアで開かれるお祭りで、メルボルンのあるビクトリア州とニューサウスウェールズ州の州境のブッシュで行われます。音楽、アート、ライフスタイル関連のキャンプイベントで、ボランティアベースで開催されます。ConFest最大の特徴は、参加者は全裸で過ごすことが許されていて、とことん自然と一体になる、自然のなかで暮らす生活を思う存分満喫できるという点でしょう。

私は長年、このイベントにいつか参加したい!と思いながら、なかなかチャンスに恵まれなかったのですが、ついに今年初めての参加ができました。しかも『行こう!』と思い立ったのは、イベントのたった前日のことでした。

インターネットもない、ケータイの電波も届かない、電気とガス無し、トイレはコンポスト、シャワー代わりに川に飛び込む、周りにはヌーディストだらけ、テントで寝る、踊る、歌う・・・そんな生活を5日間に渡って過ごし、昨日帰宅してから、まるで抜け殻のようになってしまいました。そこでの体験があまりに素晴らしく、日常生活とのギャップにいまだ圧倒されています。
いますぐあの生活に戻りたい、、とConFestでの出来事、出会った人々との繋がりに思いを馳せ、気づけば白昼夢を観ているような・・・そんな時間を過ごしています。

今回息子は同行せず、私は『自分になりきる』ことを自分に許した、そんな5日間でした。
そこでの体験のひとつひとつは、すべて筆舌に尽くし難く、なかなか簡単に言葉にできるものではないように感じているのですが、言葉というものの限界を感じながらも、少しずつ書いてみたいと思います。

今回ConFestで得た最大のものは、『恐れることなど、何ひとつない』ということを身をもって体験したということかもしれません。
私はConFestの前夜、”やりたいと思うことはやるべし”というメッセージを強烈に感じ、前日の午後になって友人に連絡したところ”いいよ、一緒に行こうよ”の返事でした。この友人に連絡を取った時の私は、『私は明日からConFestに絶対に行ける』と確信していました。1ミリの疑いもなく確信していれば、その出来事は絶対に起こるのだ、ということを身をもって確信した瞬間でした。

私はテントも寝袋も持っていないのですが、そんな形で思いがけずヒッピーなキャンプヴァンに乗り込み、翌朝ConFestに向けて出発したのでした。
メルボルンから約4時間のドライブの末、辿り着いたブッシュのゲートでは、さっそく全裸のおじさんが出迎えていました。ものすごい違和感を感じながらも、『ふ〜ん、そんな感じかぁ』と傍観している自分がそこにいました。

朝、日の出と鳥のさえずりと共に目を覚まし、シャワーを浴びる代わりに川に飛び込む。そのまま気の赴くままに仲間たちと時間を過ごし、ハンモックのなかで語らい、全身泥まみれになってみたり、ワークショップに参加してドラミングを習う、踊る・・・そうやって、ただ、その瞬間、瞬間を全身で生きていて、友人から”いま午後の4時半だよ”と告げられて『Really?!』、朝から食べることもトイレにいくことも忘れてたけど、、そういえば私、のどが渇いているかも!よし、水を飲もう・・・そんな時間の連続でした。日常の生活でいかに自分が条件付けられて生活しているか、意味不明に無駄な動きばかりしているかということを、とことん思い知らされる日々でした。

3日目あたりに、私はワークショップを受けていた場所に自分のバックパックを置き忘れてきたことに気が付きました。だいぶ時間が経っていて、その場所に戻っても私のバックパックは見つかりませんでした。周囲の人に訪ね歩いても見つからず、最終的にLost and foundに行ってみたところ、私のバックパックのなかに入っていた大きなポーチだけが見つかりました。バックパックの中身の一部がそこには詰め込まれていて、すべての現金が抜き取られた財布などが見つかりました。
バックパックを失くしたことに気がついた時、どういうわけか私はやたらと落ち着いていました。『まぁ、そのうち見つかるだろう。もし見つからなければ、ショックだけどそれはそれで・・・』とどこかで開き直っている自分に、我ながら驚嘆していました。
現金がすべて抜き取られた財布を見た時は少々悲しい気持ちになりましたが、まぁ、たかが250ドル、クレジットカードやら運転免許証など失くしたら手続きが面倒なものが全部残っていてよかった!ありがとう!むしろそんな気持ちでした。そして他にもピアスの片方やら、そのバックパック自体やらは失くなったのですが、その他に失くなったモノも、自分で思い出せない程度のモノなら、そもそも必要が無いものだったのだと、ほとんど怒りも執着も感じていない私がそこにはいました。

もともとの予定では4日目にメルボルンに戻る予定でいたのですが、『もう一日どうしてもここに居たい!』という気持ちが募り、一緒に来た人に私をおいて先に帰ってくれと告げたのでした。寝床であったキャンプヴァンもなく、現金も持ち合わせていなかったのですが、私は『絶対に大丈夫。のどが渇けば水はあるし、食べ物だって手に入る。困ったら友達もいるし、なにも恐れることはない。』そう確信していました。

こんなことは、日常生活では有り得ません。ケータイを失くしただけでパニックになりそうな都会生活ですが、どういうわけか『なにもない』ようである自然のなかの生活では、逆に『どうしても必要なモノなど何もない』そんなふうに心の底から感じていました。自然に生かされている、だからこそ、恐れることなどもともと何もなかったのだ、と私は全身で感じていました。
そんな確信のもとに生活していると、それはもう面白いほどに、想像を絶するような予期せぬ楽しい出来事の連続が待ち受けていました。まさに『いまに生きる』とはこういうことか!と、本来の生き方を思い出したような気がしていました。

アフリカンドラミングの音に酔いしれながら踊っていたら、ふと吸い込まれるようにある人と目が合い、どちらからともなくハグをし、初対面でもちろん名前も知らないにも関わらず、出会った瞬間に歓喜に溢れ、『I missed you!』,『I missed you so much sister!』と、そう!なんかこの人とは姉弟だったかもしれない!というような不思議に深い繋がりを感じる人(しかもジャニーズばりにかっこいいイケメン)と出会ったり・・・、そんなことの連続でした。

ConFestで感じたことは山ほどあって消化するのにまだ時間がかかりそうですが、気づきのうちのひとつは、全裸で生活することは全く”エロく”ない!ただ普通のこと!ということです。それは翻って、私たちは普段いかに抑圧された、不自然な社会で生きているかということを改めて痛感する気づきでした。実際にヌーディストになるかどうかは個人の自由だし、私個人は敢えてそれを選びませんが、人間として生きることの本質を見たような気がしました。セクシュアリティについては書いてみたいことがこれまた山ほどあるので、追々、、になりますが、ConFestでもタントラとかその他セクシュアリティ関連のワークショップも多々あって、私はいまの地球にとって、このテーマほど重要なものはない!そう確信しています。なぜならそれは、生きることそのものだから。オーストラリアでは人々はセクシュアリティに関して日本よりはるかにオープンなので、私にとっては、日々気付きの連続です。

古来より、お祭りという『ハレ』の体験をすることは、『ケ』の日常を過ごす私たちにとって必要なこと。緊張だらけの『ケ』にどっぷり浸かっている現代の生活だからこそ、ここまでぶっ飛んだ『ハレ』なお祭りは私にとってあまりに印象的で、普段かぶっているペルソナを取り戻すのに時間がかかるようですが、それもまたご一興。そのコントラストを楽しみながら、日常生活に徐々にアジャストしたいと思います。

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