オープン・リレーションシップについて - Open relationship

またもやブログを放置していたここ数ヶ月の間は、目まぐるしく変化していく自分の世界に付いていくのがやっと、という感じで、アップダウンの激しいジェットコースター人生を送っています。とてつもなくスリリングな人生を、最近は存分に謳歌できるようになってきました。

PolyamoryとMonogamy – ポリアモリーと一夫一婦制について書いたのは、1年ほど前のことです。
繰り返しになりますが、ポリアモリーとは、恋愛対象のパートナーを1人に限定せず、同時に複数のロマンティックな関係を1人以上の人と持つ、という在り方を意味します。
オープン・リレーションシップという概念もこれに深く関連していて、パートナーシップを結ぶ2人が、お互いの関係の外での恋愛も互いに認め合う関係性、というのが私の解釈です。
一般的に一対一の男女の関係性では(同性間でも当てはまると思いますが、私は自分の経験について書くために、以下の話は男女間の関係性に限定します。)その外でロマンティックな関係を持つことは”浮気”という極めてネガティブなラベルが貼られます。
オープン・リレーションシップでは、それらの関係性についてお互いに認め合う、つまり、その関係性の外で起きていること、それに付随する感情や、どういうライフスタイルが相応しいかということを常に共有し、話し合うことが前提です。そこには、外で誰かと別の関係性を築くことに、”やましさ”は存在しません。

私は過去には、一対一の男女の関係性(つまりモノガミー)しか経験をしたことがなかったのですが、ここしばらくの間、オープン・リレーションシップに足を踏み入れる、つまり自分がポリアモリー的に生きることを始めたら、人生が『超、自由!!!』に感じられ、『人間って、本来これが自然なスタイルだったんじゃないの?』とまで感じるようになりました。

私は自身の結婚の失敗という経験から、一夫一婦制という形でお互いを縛り合う制度に、大きな疑問を感じています。少なくとも、私には全く向きませんでした。
そうはいっても、人間の男女間では、究極的には一対一のモノガミーが理想的なのではないか、と今でも思っています。
言っていることが矛盾するようですが、オープン・リレーションシップを経験した上で、その2人が”やはりお互い、外での関係を持つことをやめて、一対一であろう”とモノガミーの関係性をとることを”選ぶ”というのは素晴らしいことであり、それを選ぶ自由がある状態というのが理想だと思うのです。

オープン・リレーションシップのカップルでも、例えば子供をもっている二人の関係は、その他の関係に比べてやはり生活の基盤を共にする比重は高くなるでしょう。そういうパートナーのことを、オープン・リレーションシップのなかでも”プライマル”つまり”主要な”パートナーという位置づけをしたりして、一緒の家に暮らすとか、財政面や子育てを共有するという、人生での大きな要素を共有するメインの相手というふうに呼んだりもします。
でもそういう相手がいるからといって、その外で恋愛をしてはいけない、というのは、本当でしょうか?

ポリアモリーであることでの大きな挑戦のひとつは、”嫉妬心”や”独占欲”とどう向き合うか、ということだ思います。自分が誰かを愛していたら、その人が別の人と恋愛をするということに嫉妬することはおそらく人間の自然な感情でしょう。でも、そういう感情を経験し、そのことも全部ひっくるめてパートナーと徹底的に話し合うこと、そして嫉妬心や独占欲を通り越してお互いを理解し、尊重し合うというのは、本当の意味ですべてをさらけ出す行為にほかなりません。私の考えでは、それを乗り越えることは、その人の懐をとんでもなく広くする経験になりうると思うのです。なぜなら、そもそも自分以外の人の人生を支配したりコントロールするなどということは不可能であるはずです。その人の人生経験は、その人が自由に最大限に謳歌するべきであると思うのです。その可能性を狭める制度は、果たして本当に私達人間に相応しい生き方なのでしょうか。

私の場合は、子供を一緒に持つと決めた相手と結婚後すぐに破綻という経験をし、更にその後、息子が産まれてこのブログを始めた5年ほど前〜息子と離れ離れの生活を余儀なくさせられる頃までは、息子がほぼ”私の人生のすべて”でした。
でも運命の力によって強制的に、私は自分の人生を生きるように仕向けられ、自分が今日こんなところに立っていることを思えば、人生の不思議とそのダイナミックな展開に驚嘆せずにいられません。
息子とは現在週に二晩を共に過ごしていて、私と彼との絆の深さは今も昔も全く変わりません。母親の私が照れるほど、彼は愛情表現豊かで、愛情深い、素晴らしい5才児に成長しています。

こういう息子との関係性も、私がポリアモリー的な生き方をする大きなきっかけだったのだろうと思います。共に過ごす時間が短くても、愛情の深さは変わらないし、それだけ一緒に過ごす時間が貴重なものになる。そのことを教えてもらったからこそ、私は今こうして自分の人生に対してとてもオープンでいられるようになりました。
一見どんなにネガティブな出来事が人生に起ころうとも、こうしていつかは乗り越えて、新たな生き方をするように仕向けられている、それが私達の人生なのだと思います。

とりわけ私たち日本人は、子供のため、あるいは家族のために生きるように条件付けられているところがあるので、私はそこを乗り越えるのにたいへんな時間と試練を経験しました。
以前はそのように条件付けられてきた日本の社会環境を憂いたものですが、最近では、少なくとも私達の親世代くらいまでは、かなりの比率で夫婦が離婚することなく、家族という単位をとても大切にして人生を生きてきたその日本人の美徳は、なんと美しいものなのか、とも思います。
そのあたりのことは、また近いうちに書いてみたいと思います。

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